(c) 2009 PointBlank Films Inc.
映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス」から「コーヒー・アンド・シガレッツ」など、独特のテンポの映像とユーモアで醸すオフ・ビートな作風が世界中の映画ファンを魅了する映画監督、ジム・ジャームッシュ。彼の4年ぶりの最新作「リミッツ・オブ・コントロール」はウォン・カーワイ作品で知られるクリストファー・ドイルとタッグを組み、映像美が冴え渡るジャームッシュ節全開の作品だ。「絵コンテは作らない」という独自の映画術や、クリストファー・ドイル(かなりの変わり者らしい)との映画作りについてなど、ジャームッシュ監督のインタビューをお届けしよう。
――映画のタイトルは、ウィリアム・S・バロウズが1970年代に書いたエッセイ(リミッツ・オブ・コントロール)ですが、この意味するところは?
このエッセイは、支配機構としての言葉を主に扱っている。「言葉はいまも支配のための道具である。提案も言葉。説得も言葉。命令も言葉だ。過去に考案されたいかなる支配機構も言葉がなければ運用できなかったし、外からの力や精神の物理的支配だけに依存した支配機構は、どれもすぐに支配の限界にぶち当たるだろう」。その作品全体から刺激を受けて、人がどのように物事を認識しているか、人がどうして支配されることを求めるのかについて考えるようになった。エッセイを作品の内容に直接的に取り入れることはしなかったが、タイトルを使ったんだ。
また、冒頭で登場する詩人アルチュール・ランボーの「le Bateau Ivre(ル・バトー・イーブル)」からの引用は、撮影終了後思いついた。精神錯乱のメタファーなんだ。作為的な感覚の混乱だよ。だからもしかするとこの引用は映画の最後に持ってくるのが一番適切なのかもしれないね。
――この作品に影響を与えている映画などありますか?ティルダ・スウィントンの演じる人物がいくつかのタイトルを繰り返し口にしてますね。
ジャック・リヴェットがジョン・ブアマンの傑作「殺しの分け前/ポイント・ブランク」をリメイクしたらどんな感じになるだろう、或いは、マルグリット・デュラスがジャン=ピエール・メルヴィルの「サムライ」をリメイクする感じと言った方がいいかな(笑)。なんとなく、フランチェスコ・ロージの作品のような70年代、80年代に撮られたヨーロッパの犯罪映画が頭にあったね。作品を模倣するということではなく、むしろそのなかにスタイルを見つけるという意味で、アイディアの源となる印象的な作品を思い浮かべていた。
なかでも一番重要だったのが「殺しの分け前/ポイント・ブランク」。制作会社も「ポイントブランクフィルム」という名前にした。クリストファー・ドイル(撮影監督)とエウヘニオ・カバイェーロ(プロダクション・デザイナー)と一緒にこの映画を研究した。リズムではなく作品を様式的に分析したんだ。例えば、映像のなかの中にある映像、ドアや窓やアーチ道などの枠で切り取られた物体、反射面を使って意図的に外部のものと内部のものを混乱させるように撮ったショットなどだ。
「殺しの分け前/ポイント・ブランク」は、最近亡くなったドナルド・ウェストレイクの小説(※邦題「悪党パーカー/人狩り」)が下敷きになっている。全作品にパーカーというキャラクターが登場する。パーカーはプロの犯罪者で、非常に落ち着いている。仕事に取り組んでいるときは、セックスにもアルコールにも他のどんな娯楽にも惑わされることはない。このシリーズでは、いつも彼の周りにいる人たちがトラブルに巻き込まれて、彼自身の非常に慎重な行動とは正反対のむちゃくちゃな状況に陥るんだ。魅力的なキャラクターだよ。あらためて読み返すことはしなかったけど、このシリーズ小説は作品に大きな影響を与えている。僕の頭のなかでは、シリーズ小説や映画「殺しの分け前/ポイント・ブランク」の中のキャラクターが、この映画のキャラクターがどうやって誕生したということと常に関連づいているんだ。
それと、ここ何年か、イザック(主演を務めるイザック・ド・バンコレ)をある種の人目を忍ぶ任務を負った寡黙で力強い役柄で使って映画を撮りたいという思いがあったんだ。タイトルの件やイザックをそうした役柄で使うという構想に加えて、リミッツ・オブ・コントロールは物が集まり始めたことで実現したというのもある。この映画のためにいつも色々と集めていたんだ。
――非常に色彩豊かなとスペインの風景が印象的ですが、ロケ地もその一つでしょうか?
僕はずっとスペインで映画を撮りたいと思っていた。僕の古い友人でこの映画のカルチャー・アドバイザーでありスパニッシュ・シネマテックの責任者でもあるチェマ・プラードが、マドリードのすばらしい建築物トレース・ブランカスに家を持っているんだ。最初に彼を訪ねていったのは、少なくとも20年は前だ。その建築物は1960年代後半に建てられたもので、僕は常々なぜ他の連中がもっとあそこで撮影しないのか不思議に思っていた。今回やっとそのなかの部屋のひとつで撮影できた。空き部屋を使って、内部を自分たちで造り込んだんだ。
イザックの演じる人物が旅をするスペイン南部の自然のままの風景は、とても風変わりで夢のようだった。セビリアは世界で一番好きな街で、ずっと魅了されつづけている。ねじれたカーブを描く狭い路地や、建築物の精巧さ…バルコニーがいたるところにあって、通りから見上げた人にしか目にしないバルコニーの下面までが凝ったタイル張りなんだよ。セビリアでイザックの演じる人物が滞在する部屋の階段のタイル細工は、まさに見事としか言いようがなかった。最初にあそこへ行ったのは1980年頃で、ファブ・ファイブ・フレディ(※アメリカ人ラッパー)と一緒だったな。オーソン・ウェルズ監督もテレビ・インタビューで一番好きな都市はどこかと聞かれ、迷うことなく「断然セビリアだ」と答えていたよ。たしか彼の墓はセビリア郊外のどこかにあるはずだよ。
そんな風に全てのピースをつなぎ合わせていき、セビリアを念頭に置いたとき、スペインで全てが形をなし始めた。
――ご自身による脚本ですが、どのようなアプローチで書かれたのでしょうか?
この脚本は最初25ページ分の物語だったものを、制作段階で膨らませていったんだ。最初からそうしようと決めていた。脚本が自然に成長するにまかせて、従来の脚本というものは作らないようにした。だから現場では常にアンテナをはって作業していたし、いつも何かを再検討したり、作品が自然とある方向に向かっていくのに身を任せたりする態勢が整っていた。プロダクションデザイナーのエウヘニオも、変更ありきということを実に寛大に受け入れてくれた。「脚本にこのシーンはこうと書いてあるから、それを実現させよう」というのではなく「これがシーンのスケッチだけど、何を連想する? 物でも何でもいい。新しいアイディアはないか?」という具合だ。
これはいつもの僕の手順じゃない。普段は最初からかなり細かい脚本を書いている。でも今回は指示も最小限で、実際のところ最初はセリフもなかった。撮影を進めるなかで、一連のセリフを作っていったんだ。
――絵コンテやショットリストは存在したのでしょうか?
僕は絵コンテを描いたことがないんだ。それに最近の作品では、ショットリストも全く書いていない。だからこの映画でも、ロケ地の視察は非常に重要だった。全てのロケ地にまず独りで、それからクリスと一緒に足を運んだよ。ふたりでカメラの動きだとか、そこで物語のどの部分を撮るべきかといったことを、より一般的な方法で相談し始める。ふたりともよくショットについてのアイディアを思いついたし、デジタルカメラでシーンのスケッチ用に写真も撮ったけど、それと同じショットを作品のなかで使うことはほとんどなかった。撮影を始める前の数カ月間は、1度につき2週間の時間を取ってクリスに会い、とにかく話しまくってアイディアを出し合った。
クリスとは長年のつきあいで、数年前にジャック・ホワイトのバンド、ザ・ラカンターズのミュージック・ビデオ「ステディ、アズ・シー・ゴーズ」を一緒に撮ってからも、いつかまた一緒に仕事をしようとずっと言っていたんだ。
■想像力は信仰。"想像する力は、人間が与えられたもっとも力のある才能だ"
ジム・ジャームッシュ監督 (c) 2009 PointBlank Films Inc.
――作業の分担はどのように行われるのですか?
過剰な演出はしたくなかったが、それでもその場所の色が持つ価値は残したかった。ただ技術的なものよりもフレーミングによって強調するようにした。フィルムは、カラーバランスの良さを考えて富士フイルムのものを使った。クリスがこの件について小論文を書いている。例えば、異なるフィルム上で、緑色と並んだ赤色が微妙ではあるが目に見えて違って見えるかとか、文化的経験といった要因に依存して人の目がどんな風に異なった反応を見せるかといったことが書かれている。
撮影中に気がついたんだけど、クリスはセットの中で、その場所を明るくするためではなくむしろ影を作るために照明を使っていた。これはポジティブな部分とネガティブな部分の対比の認識を逆転させたんだ。例えば日本では人が床に座るけど、その時は部屋がポジティブな場所と認識され、その部屋にあるテーブルや椅子の上はネガティブな場所だと捉えられる。同じ場合でも欧米人は逆の認識を示すんだ。
僕らは画家の感覚を目指していたから、媒体は35ミリカメラと特性のフィルムとレンズにこだわった。それ以外の撮影方法はいっさい頭になかったから、他と比べることもしなかったよ。そして、単に作品を分解するように仕事をするんじゃなくて、自分たちの周りにあるものに夢中になる無垢な能力を取り戻そうとしたんだ。もちろん映画がきちんと仕上がるように気をつける必要はあったし、僕もセリフや俳優の演技については心を配っていたけどね。
――クリストファー・ドイルと今回長編を共に手がけていかかでしたか?
クリスは視覚的に衝撃を受けると、もう子供みたいに夢中になって興奮するんだ。目をキラキラさせてね。それがまわりに伝染する。僕は普段、自分の作品の枠組みをかなりきっちりと管理するし、撮影監督とも密に連携をとる。だがクリスの仕事や仕事に対する柔軟な姿勢には、なにか不思議な力があるんだ。どう説明していいか分からないけど、枠組みは広げられ、僕自身が認識していたものよりもずっと柔軟性を持ったものになる。クリスと一緒に働くには自分の凝り固まった考えを捨てて、過去の共同制作のときよりも撮影監督の仕事の縛りをゆるくすることが大切なんだ。ダイナミックなショットを考えるときなんか、クリスはなんとなく野性的になるところがあるからね。
クリスは、本当にアイディアが豊富なんだ。つきる事がない。これがダメならあれは?と、まるで、川を泳ぐ魚のようにね。型にはまってないし、エネルギッシュだし、僕にとっては素晴らしい撮影監督だよ。
ジャームッシュ監督(左)、クリストファー・ドイル(右) (c) 2009 PointBlank Films Inc.
――そうした仕事の仕方は、撮影中にはどう作用しましたか?
あるシーンに取り組んでいて、僕が「こんな風に撮ろうと思ってるんだ」と言うと、クリスは最初のショットにしか興味を持たないということがよくあった。残りのショットについては「ああ、それは考えたくない」って言うんだ。彼はそれからカメラのアングルを決めるんだけど、ほとんどの場合、僕がカメラを置こうと思う場所とは違っている。そして9割方、僕が考えたものよりもいい画が撮れるんだ。それにクリスはとにかく仕事が速い。クリスのスピードがなかったらリミッツ・オブ・コントロールをスケジュール通りに仕上げることはできなかっただろう。これまでは1日で平均24シーンくらいを撮っていたが、今回は1日に35シーンは撮ったと思うよ。
クリスと「これを見るのは今回が初めてだ」という表現を使ってよく話したね。逆のとらえ方をすれば「もう二度とこと部屋を通ることはないだろう」という感覚だ。僕らにとって映画は自分たちのものの見方だからね。よくふたりで、観客の感覚を変えるなにかを生み出したいって言っているんだ。お客さんが映画館を出たときに、彼らのものの見方がたとえ一時的であったとしても新しく変わっていて欲しい。テーブルの上の平凡なコーヒーカップや、腰を下ろしている部屋に差し込む光を見るときの見方がね。ウィリアム・ブレイクは僕の尊敬する監督のひとりだけど、彼にとって想像力は信仰なんだ。なにかを想像する力というのは、人間が与えられたもっとも力のある才能だ。それは科学の分野でもどんな表現形式でも同じことさ。
人がそれぞれどんな風に世界を見ているかは、そしてその世界のなかの人の意識も、主観的なものだ。ものの意味や、もののイメージをどう捉えるかという点で、個人一人ひとりがすでに確立されている支配を拒む権利を持っている。映画は、人が自由に理解をするものだと思っている。今回のタイトルは、こういった考えがあって気に入ったんだ。自分たちの支配には限りが有る。もしくは自分自身の支配…なんだろうね。
■ストーリーについて
(c) 2009 PointBlank Films Inc.
――同じセリフや演出が繰り返されるという点に関してですが、これはこの主人公が日々自分の仕事を繰り返していることを想起させるのが狙いですか?
というより、そうした繰り返されるシーン、例えば繰り返し列車に乗ったり美術館を訪れたりするシーンは、毎回それぞれのシーンのバリエーションとして再現されている。クリスと僕は一連の変化が持つ美しさについて話し合った。芸術的な表現には不可欠な要素だ。バッハは同じテーマを何度も繰り返し使うけれど、すべてをほんの少しだけ変化させていて、それがすごく美しいんだ。ポップ・ミュージックや小説、建築でも同じことが言える。
僕も多くのバリエーションを使ってきた。「
ミステリー・トレイン 
」では3つのバリエーション、「
ナイト・オン・ザ・プラネット 
」では5つ。「
コーヒー&シガレッツ
」にもいくつか繰り返すシーンがある。確実に自分が好きな作法だが、「繰り返す」という事より、バリエーションに焦点をおく事が大事なんだ。でもバリエーションにおける「繰り返し」も非常に大切。台詞も何度も繰り返しているが、前とは違ったバリエーションがあるはずなんだ。
――繰り返し描写される一つ、美術館でのシーンは、主人公の任務ではあるものの、美的感覚も感じます。
彼はそこへ行き、毎回1枚だけ絵を選ぶ。僕も同じで、なにかに感銘を受けたら、そのことで頭がいっぱいになる。つまりこれは、彼は絵を見るときと同じ見方ですべてを見ているという発想なんだ。彼はプールで泳いでいる裸の女の子を見るときも同じ見方をする。皿の上の洋梨を撮ったシーンでも同じで、僕はこのシーンを絵のように見せたかった。黄金の塔(※セビリアにある建築物)とポストカードを見比べるときも、電車で移動するときの動きのある風景を見るときでさえ同じなんだ。
映画というとまず視覚的な形式が考えられるが、この役の意識は彼の音のとらえ方によって広がっていく。ギターをかき鳴らし、ヘリコプターの音に反応する…音と音楽は僕にとって常に極めて重要な要素で、リミッツ・オブ・コントロールでは今までに撮ったいくつか作品のよりも、さらに重視しているかもしれない。
■音楽について
――音楽ということですが、この作品にとっての音楽についてお聞かせください。
映画は音楽とかなり直接的に結びついているんだ。なぜなら音楽はその作品の持つ独特の拍子で、その作品独特の動きのある景色を映し出しながら、聴いている人の前を通り過ぎていくからね。それは絵を見るのとも、本を読むのとも違う感覚だ。映画と音楽は観客をドライブに連れだしてくれる。人の意識や元来は音楽的な人の情緒反応を、映画を通してどう引き出すかということに意味がある。
リミッツ・オブ・コントロールでは編集担当のジェイ・ラビノウィッツが、今回も音楽担当を兼任している。ここ最近の作品2、3本でこのやり方を取ったけど、上手くいっている。
この作品では「ブロークン・フラワーズ」と同じように音楽は既存のものを使った。だけどジェイと僕が編集室に入るまでは、どの音楽をどのシーンに使うか未定だった。
まあ、作品ごとに自分で雰囲気に合うと思った音楽をファイルしたものは持っているし、撮影前であってもそこからひらめきを得ることはある。僕が音楽を選ぶから、本当の意味での音楽担当はいないんだ。ジェイは、音楽をうまくはめ込んだり短く編集したりすることの天才で、僕が「最初と最後の部分だけ欲しいんだけど、真ん中のパートは要らない」と言っても平気だしね。
――今回の作品ではどんな音楽を使いましたか?
リミッツ・オブ・コントロールを書いたときすでに、サン&ボリス、アース、ザ・ブラック・エンジェルズの楽曲から何曲か使おうと思っていた。クリスがボリスの音楽を聞けるようにCDを作ったよ。ボリスは日本のバンドでサイケデリック・ノイズ・メタルに分類されるんだけど、彼らはとにかく独創的なんだ。色んな物と音楽とが美しく混ざって融合しているんだ。全てを受け入れている音楽といった感じ。彼等に影響を与えるもに対し、楽器で返答しているような感覚が伝わってくる。僕はインスピレーションをたくさんもらったね。自分で音楽を作曲する感覚で、この映画も作っている。
次に、僕が愛してやまないシューベルトの弦楽四重奏曲から美しい「アダージョ」を選んだ。どうしても作品に入れたかったんだ。
それから、この映画の音楽的な布地を織るためのの3つ目の材料を求めて、様々な形式のフラメンコを探し始めた。そのなかのひとつ、ペテネラスが私の心に強く響いた。かなり風変わりで、ほとんどのフラメンコ・ミュージシャンやジプシーの間では禁じ手なんだ。ほとんどが死や悲劇、失恋を歌ったものだ。私が作品のなかで使ったペテネラスの歌は「エル・ケ・セ・テンガ・ポル・グランデ」というタイトルで、その歌詞は映画のなかのセリフにも出てくる。クリスとエウヘニオと僕の3人はマドリードでラ・トゥルコに会ったとき、もうこれ以上フラメンコ・ダンサーを探す必要はないと悟った。彼女には圧倒されたよ。僕が作品のなかに太極拳がでてくることを伝えると、彼女は「太極拳フラメンコ」のクラスを教えていると言った。足を踏みならす動きよりも、ゆっくりとした手の動きをより重視したものだ。彼女は歌手のタレゴン・デ・コルドバとのギターのホルへ・ロドリゲス・パディージャと一緒に、そのスタイルをペテネラスのシーケンスに取り入れてくれた。
マヌエル・エル・セビージャノの「(ボル・コンパシオン・)マラグエニャス」という小曲も使った。1920年代に蝋管に録音されたものだよ。ジョン・ハートが演じている人物がその曲についてなにか言って、セビリアにいるイザック演じる主人公がベッドに横になっているときに、窓から漏れ聞こえてくるそれを耳にするんだ。
――それではこの映画用に作ったオリジナルの曲はないのですか?
美術館のシーンと他にもいくつかの箇所で、ぴったりはまる曲を見つけられなかった。それで僕たちのバンド「バッド・ラビット」(カーター・ローガンとシェーン・ストーンバックと僕のことだけど)は、ドラムとエレキギターを使ったサイケデリックな曲をいくつか作った。バッド・ラビットは今、映画音楽じゃなくて、もっとトランスに近いサイケデリック・ロックの新作レコードに取り組んでいているんだ。
映画の作り手として、僕は自分がミュージシャンのような反応をすると思っている。ギターを取り上げて、いくつか音を鳴らしてみて、その音が自分をどこに連れて行ってくれるかを見るのが好きなんだ。それが僕の目指す映画制作へのアプローチの仕方だ。僕にとっては、プロットではなく登場人物が常に作品の中心にいる。俳優たちは作品の感情的な部分を表現するための楽器なんだ。ストーリーはその次だよ。
■キャスティングについて
(c) 2009 PointBlank Films Inc.
――俳優たちとはどれくらいリハーサルを行いましたか?
僕は俳優から希望が出ない限り、リハーサルはしたくないと思っているんだ。それよりも俳優たちと話をしたり、役のついている俳優と一緒に作品に登場しないシーンをやったりして、その役を固めていく。そうやってカメラをまわせば、俳優たちは準備しすぎることなく想定された役どころに合わせて反応することができるからね。
ただリミッツ・オブ・コントロールでは、ビル・マーレイのシーンでリハーサルを行った。動きがちょっと複雑だったんだ。というのも、そのシーンは作品のなかでも唯一、固定した追跡カメラから始めて手持ちカメラに移行する部分でね。作品のスタイルを崩すシーンで、照明もぎらぎらとして見苦しく、作品の他の部分と違って絵画的でもない。
それに、こんなことがあったんだ。ビルは彼の崇拝している(僕も同じ気持ちだ)ジョン・ハートにそれまで一度も会ったことがなかった。それでビルは僕とジョンと一緒にセビリアでランチをしにやってきた。ビルがジョンに役作りのプロセスについて尋ねると、ジョンはこう答えた。「僕はヴァイオリニストのようなものだ。楽譜を受け取ったら、それを変えることも書き直すこともしたくない。そこに書かれている通りに演奏したいと思う。それも自分に可能な限りの最高の演奏をね」。ビルとジョンは同じホテルに泊まっていて、毎日一緒に朝食をとるようになり、親しくなっていった。それでビルは僕のところにやって来て「ジョンとこのシーンについて話したんだけど、脚本に書かれている通りにリハーサルをしてみたいんだ」と言った。ビルは「ブロークン・フラワーズ」でも脚本から大きくそれることはなかったし、セリフのあるシーンでもリハーサルはしなかった。彼は今回、違ったプロセスで冒険したかったんだと思う。
――工藤夕貴演じる"分子"(モレキュール)はどのようなキャラクターの人物ですか?
彼女の役は、何かに例えた役柄です。科学の世界で発生する興味とか、想像力などを祝う役なんです。台詞では、「分子が物をどう構造するのか?」について話しています。可能性はたくさんあるのに、我々は全ての可能性を捨てている気がします。彼女には冷たさを感じさせないような話し方をして欲しかった。だからあえて、彼女には科学のレクチャーを省いた。ユウキはこのキャラクターにぴったりだったよ。英語でも彼女はこういう話(科学について)ができるし、またイザック役が彼女に興味を示すような役を演出したかった。ミステリアス、フェミニン、少しセクシーで、支配的。でも冷たくなくて、おしつけるような性格じゃない。よく映画で出てくる、ミステリアスな変なアジア人役の役柄ではなく、ユウキそのものを少し役柄に入れたんだ。
――今までもイザックとは友人で彼と一緒に働いてきたと思いますが、この作品でおふたりの世界がさらに広がったと感じますか?
イザックは俳優としても人間としてもすばらしく、気がつけばすでに25年来のつきあいだ。僕らの友情、僕らが一緒に作った作品があったからここまでやってこられたし、彼も真剣に映画に取り組むようになったのだという気がする。数年前、イザックが僕にパスポート大の自分の写真を2枚くれた。1日に1枚ずつ撮ったもので、1枚目のときは彼はひげを生やしていた。翌日、彼はひげを剃って写真を撮った。まったく違う人に見えたよ。
俳優としての彼の一番好きな点は、大げさな演技をする必要がないところだ。彼はすごく人間らしい小さな動きで演じることができる。観客はそれを解釈するんだ。彼はほんの少し目を細めるだけで、ほんの少し口の端を動かすだけで、たくさんのことを伝えることができる。僕はそれを捉えたかった。
イザックの体の使い方は、すごく動物的でありながら、同時にすごく意図的でもある。彼のボディーランゲージには強さとプライドが感じられるし、リミッツ・オブ・コントロールでは、イザックが外見上はなにもしていないように見せることで、彼が演じる役柄に表情が出た。
――彼とウエイターとのいざこざのシーンがはイザックの実話と取り入れていると伺いまいした。
何年か前に一度イザックとカフェに入ったことがあって、彼はウエイターにエスプレッソを2杯注文したんだけど、そのウエイターがダブル・エスプレッソを持ってきたんだ。そしたらイザックがキレた。「俺は確かに2つって言ったよな。温度にこだわりがあるんだよ。なぜ2エスプレッソなのかという理由を君に話す必要もないが、とにかく2つのエスプレッソが欲しいんだ。」僕が「へえ、そんなにエスプレッソが2杯欲しかったんだ」と言ったら、彼はこう答えた。「自分の欲しいものは分かっている。欲しいものを欲しいと伝えただけだ。それが自分のしたいことだったから」。この出来事がずっと記憶に残っていたんだ。
――様々な映画、文学、音楽などから受けるインスピレーションが、あなたの映画作りの原動力となっているようですが、年齢やキャリアを重ねる中で、アンテナに引っかかるものは変わってきたりしますか?
わからない。そんなの考えた事もないなぁ。僕は今を生きるだけだから。過去もなく、将来もない。「ブロークン・フラワーズ」の台詞のようにね。普段から、自分がオープンになって、色んな物事を受け容れるようにして、この天体にある文化を知るようにしている。アフリカの映画、インドネシアの音楽、トルコの本、エジプト・・・気に入った物は自分の中に残っている。僕はアメリカ人だからそれが自分の文化だ、なんて思わなくて、僕はアメリカ人とも思わないし、ただこの天体に生きる一人の人間とういうメンバーの一員、というか生き物のメンバーの一人だと思っている。植物や動物より人間の方が価値があるとも思っていない。ジャッジメントはしないけど、とにかく良いなと思った物は心に感じて残しておくし、もっと調べたりもする。好奇心は多い方。人生は短いけど、たくさん2学ぶ事や経験する事ができる。
自分が好きな映画でさえ、生涯の中で全部見終える事はできないよ。音楽、場所、人・・・時間が過ぎるのは早いから、来るもの拒まずで受け容れるし、僕に話しかけてくるものを大切にする。
――日本のファンにメッセージをお願いします。
何て言ったら良いかわかりませんが…日本には変わった人が多いと言う事を改めて知りました。それは僕にとってとても嬉しい事です。日本の人々は、それぞれ物の捉え方が違ったり、新しい見方をしたり、感謝したり、表現力の豊富さ…日本にはオープンな人が多く存在するという事が素晴らしいと思います。それらの点を僕は尊敬しています。ちなみに、日本人を日本人と特定するのは好きじゃありません。同じ生き物ですからね。しかし、日本にはインスピレーション溢れるな文化がたくさんあります。歴史がありながら、新しい方法で将来を見る事ができる。もしかしたら、地球上の問題をあなた達が解決できるかもしれません。素晴らしい想像力をもっていますね。皆さんが世界に与えてくれるものに感謝します。映画、音楽、才能がとても豊かです。発信し続けて下さい。映画を観てくれてありがとう。僕にとって本当に意味のあることです。ありがとう。
■映画「リミッツ・オブ・コントロール」
配給:ピックス
監督:ジム・ジャームッシュ
シネマライズ、シネカノン有楽町2丁目、新宿バルト9、シネ・リーブル池袋ほか全国ロードショー中
クレジット:(c) 2009 PointBlank Films Inc.